さて、「二人でいれば」ですが。
サトウハチロー作詞、万城目正の作曲で昭和21年に発表されました。
歌ったのは並木路子と津村謙です。
サトウ、万城目、並木といえば同じ年に「リンゴの唄」という歌謡史に残る国民的流行歌を生んでいます。
津村謙は戦後に再デビューしたばかりでしたが、後に「上海帰りのリル」を大ヒットさせる美声の持ち主です。
一番、三番を並木路子が歌い、二番を津村謙が歌っています。
この歌は流行したのでしょうか。
現在いわゆる懐メロの歌詞が読めるサイトはいくつもありますが、どうもこの曲は見つかりません。
需要が無いのでしょうか。
「リンゴの唄」の明るさとは対照的です、暗いタンゴのリズムです。
そこにこの謎めいた歌詞が重なります。
いや謎めいたではありません。
謎です。
とにかく何もかもはっきり解らないという歌です。
さて、これが私の描いたイラストですが。

部屋の中に一組の男女がいます。
どういう関係の二人なのでしょうか。
ここは二人の家なのでしょうか。
大体この歌の主人公が女性なのかどうかもはっきりしているわけではありません。
並木さんが歌っているので、とりあえず女性と思っているだけです。
ここが彼女の家かどうかもはっきりしません。
では彼女はどこから来たのでしょう、そしてどのようにして来たのでしょう。
車で来たのか、歩いたか。
彼女の言うには、それもはっきり解らないらしいのです。
どういうことでしょう、どこからどうやって来たのか解らないとは、いったい何があったのでしょうか。
窓の外に鳥がいます。
小鳩です。

その小鳩が鳴いていたようだと彼女は思いました。
本当に鳴いていたんでしょうか。
どうやらそれもはっきり解らないようです。
何かしっかり解っている事はないのでしょうか、はい有るみたいです。ただひとつだけ。
それはだれかの優しい言葉を聞いたという事、それだけです。
ここまでが一番です。
続いて津村謙歌うところの二番です。
まず二人で居たと、それは日暮れの時間帯であったと、そして部屋の中にいたと。
この様な情報を出してくれているわけです。
がしかし。
実はそれもはっきり解らないというのです。
誠にいいかげんな話です。
日暮れの室内だからでしょうか、明かりがついていたようだともいいます。

とはいえやはりそれもはっきり解らないらしいです。
とても大人とは思えません。
もしくはこれはもう心神喪失状態です。
いったい何があったというのでしょう。
心配です。
ただここでもたしかに解っている事が出てくるのはありがたい事です、ただひとつだけですが。
それはチクタクと時計の刻む音がしたそうです。
時計は確かにあったのでしょう。

ここまでが二番です。
ふたたび並木路子さん歌う三番です。
どうしてか解りませんが涙がこぼれたとか言ってます。
もちろんそれもはっきり解らないわけですが、ただこれは涙が出ていたかどうか解らないのではなく。
涙がこぼれたという事実は確かにあって、その理由がはっきり解らないというふうに読み取れます。
涙は確かにこぼれていたのでしょう。

そして遠くの方で誰かが唄う歌声が聞こえたと言います。
でもどうせそれもはっきり解らないんでしょ?
はい解らないようです。
幻聴かもしれません。
ますます心配です。
そしてやっぱり解っているのはただひとつです、もう三つ目ですけど。
それは、ほのかに感じた誰かの手の熱さだそうです。

誰なんでしょうか?
以上がこの歌の内容です。
赤い文字をつなげれば歌詞になります。
とにかく解っている事は、誰かの優しい言葉と、手の熱さと、時計の音だけで、それ以外はなにもかも曖昧模糊としてはっきり解らない事ばかりという、もう聞いている方がどうしていいかわからない歌な訳です。
私は初めてこの歌を聞いたとき、どこかの令嬢が突然麻酔薬かなにかを嗅がされて、むりやり拉致され、どこか山荘の一室のような所に監禁されて、朦朧とした意識の中で、ああ、ここはどこ、私はどうなってしまったの的な状況をイメージしたものです。
いや今もそれ以外に考えられないです。
みなさんはどうでしょうか?
機会があればぜひ音源を聞いてみてくださいね。