絵本昭和の流行歌 番外編 其の四

故小妹

更けゆく鐘の音 思いうつせみの
果なき面影 結びもあえず
忽ち夢さめて とめし我が手に残しし
ゆかりの色濃き 若紫の
ああ ゆかりの小袖

思い出づれば 十年の昔
はるけき旅路に 我等残しし
幼き姉妹の 夢の面影なれや
更けゆく鐘の音 昔を語る
ああ ゆかりの小袖



長い文章めんどくさいという人は最後の一行へ

さて、今回は「故小妹」という絵を描いてみましたよ。
少し今までと趣の違うタッチになりましたが、なりゆきです、基本Illestrator一本というのは変わりません。

こしょうまい、と読みます。
歌詞を載せましたが、難しいですね、でも何となくわかりますね。

つまりは十年前に亡くなってしまった幼い妹を、彼女の着物を眺めつつその面影を浮かべては思いを偲ばせる夜更け。
というような感じですかね。

「追憶」という唱歌があります。
この曲は知っている方が多いと思います。
「星影やさしく またたくみそら
仰ぎてさまよい 木蔭を行けば」

という歌詞で始まる歌です、学校で習ったかもしれませんね。

曲はこの歌と同じです。
原曲はスペインの民謡で「Flee as a bird 〜鳥のように自由に」という歌だと言われています。
とても多くの所でそう言われているのですが、いやこの歌はMary S. Shindlerというサウスカロライナ出身のアメリカ人女性の作った物である、と言う人もいます。

どういう事なんでしょうね。

Words and music: Mary S. Shindlerとはっきり明示してあるレコードもあるようですが、Adapted to a Spanish Melodyと注釈の付いた楽譜もあります。
つまりは、もともとスペインにあった民謡を元にして、シンドラー女史がアレンジし、歌詞を付けて新しい歌にした、というような事ではないでしょうか。全部推測。

このシンドラー作のFlee as a bird(FreeではなくFleeが正しいそうです)の内容は、
罪に疲れたものよ、鳥のように山へ逃げなさい、そこで主に許されなさい、主はあなたを見捨てない。とか言うようなまあ賛美歌ですね。
実際に教会で歌われたり、葬送時に演奏されたりしたようです。
ルイ・アームストロングなどもレコーディングしているみたいですね。

まあ、原点の謎はともかく、

この歌が我が国で紹介された始まりは、明治23年にさかのぼります。
シンドラー女史がこの歌を作ったのは1842年となっておりますので、その48年後です。

明治唱歌と呼ばれる唱歌集に採用されました。
この時点で曲は、未詳(西洋曲)となっています。
歌詞を付けたのは大和田建樹という人で、鉄道唱歌や故郷の空を書いた人。
「月みれば」という題で、
「霞にしづめる 月影見れば
浮世を離れて 心は空に」で始まりますが、あんまり聴いた事ないですね。

「追憶」の発表は昭和12年です。
国文学者の古関吉雄という人が歌詞を書いて広まります。

さて「故小妹」はというと、この二曲の間に挟まれた大正8年の発表になります。
作詞をしたのは惟一倶楽部。
惟一倶楽部?

誰?

惟一倶楽部は「ゆいいつくらぶ」と読むようです。
唯一ではなく惟一です。
検索してみますと、ユニテリアン教会という、まあキリスト教の宗派といいますか、教派といいますか、ややこしい事はよく解らんのですが、とにかくそう言う教会がありまして、その信者が集会する惟一館という所がありまして、そこに惟一倶楽部があったようです。
まあ、親睦クラブ的なものなのでしょうか、そこに音楽部があり、教会所属合唱団などもあったようです。
そこでこの歌の日本語の歌詞が作られ、且つ歌われたという事なのかもしれません。

ユニテリアンは明治20年にアメリカから入ってきた教会です。惟一館と呼ばれる建物が出来たのがちょうど「月みれば」が発表された明治23年頃 シンドラー作のFlee as a birdが賛美歌であった事を考えると、「故小妹」は「月みれば」や「追憶」とは別の、言わば宗教ルートでの輸入であったという事かもしれません。全部推測。

ところで、その教会所属合唱団に妹尾幸陽という人が所属していたとのことです。
妹尾幸陽とは、前回「宵待草」の時にも出ましたセノオ楽譜を発行した人で、セノオ楽譜というのは前回詳しく触れませんでしたが、この妹尾幸陽という人が、ラジオも無くも蓄音機も普及していない時代に、広く大衆に東西の優れた音楽を普及せしめんと出版されたもので、大正4年から昭和4年まで1000曲以上に及ぶ楽譜を発行しています。
「故小妹」もその中の一曲として発表され、やはり夢二が装丁しています。
先に上げた「故小妹」の発表を大正8年としたのは、このセノオ楽譜発行の年であって、歌自体はそれ以前から歌われていたのかもしれませんね。

さて、その歌ですが。
レコードが2枚出ています。

昭和6年 喜波貞子
昭和8年 藤山一郎
共にビクターからです。

喜波貞子という人は、1920年代にヨーロッパに於いて大活躍にして大絶賛されたプリマであります。
藤山一郎は言わずと知れた「歌う昭和史」というわけで、
私が聴いたのはこの藤山盤です。
昭和8年といえば、藤山先生が東京音楽学校を卒業し、ビクター専属になった年です。
22歳のバリトンは、伸びやかにして艶めき、哀切を持って響き渡る。とでも言いましょうか。
ぜひ一度聴いてみていただきたい、と言いたい所ですが、なかなか難しいようです。

CDに入っていません。
藤山一郎のベストアルバムは何種類もあります、ことに1990年にコロムビアから出た大全集は収録曲200曲、CD11枚におよぶ大作ですが、ここにも入っておりません。
とはいえ藤山先生が生涯吹き込んだ楽曲は200や300ではありますまい。
となれば、けしてヒットしたとはいえない、流行歌、代表作でもないこの歌が外されるのもむべなるかな、なのかもしれません。

実際情報が少なかったです。
歌詞の表記を確認しょうと思ったのですが、結局ネット上でこの歌詞の全文を見つける事は出来ませんでした。

これはもう、私がたまたま、偶然にも、聴いてしまったという事なのかもしれません。

ちなみに初めて聴いたときの印象は、ずいぶん寂しい歌だなあという事。
映像的イメージとしては、藤山歌唱だからでしょうか、男性が主人公で、青年ぐらいの年代の男性がお墓の前で、亡き妹の着物を手に思いを偲ばせ悲しみに暮れる夜更けお寺の鐘がゴンと鳴る。
というようななんかホラーチックなものでしたが、そこはそれこの曲の哀愁を帯びた旋律と、藤山先生の美声、古文のような歌詞の格調が哀感をしみじみと心に伝える名曲。
というような事になるわけです。私に関しては。
その後夢二の絵を見るわけですが、これはとてもシンプルなもので、着物姿の娘さんが、おそらく妹の小袖を膝に思いにふける姿という感じでした、ああなるほどこれは姉妹のほうがいいなあと思い、さらに歌詞の表記をみると、「幼き姉妹(はらから)の」になっているのを知るにおよび、結果、上の絵となるわけです。

というわけで、長々と推測ばかりの駄解説を連ねて参りましたが、こうなったらせっかくだから聴いていただきましょうかねえ。

どうでしょう、聴く事は出来るのでしょうか。


権利の計算をしてみましょう。

曲をスペイン民謡だとすれば、問題は無いと思います。
シンドラー女史を作曲者としても、167年経過しています。

作詞の惟一倶楽部は団体です。
団体名儀の著作権保有期間は、公表後50年とされているはずです。
公表がセノオ楽譜だとしても90年経過しています。

藤山先生はどうでしょう。
今回先生は歌唱のみです、これは著作隣接権となり、レコードの場合、録音が行われた日の翌年から起算して50年が保護期間です。
故小妹藤山盤は1933年発表ですからその翌年から75年経過しています。

これはクリアしているのでは。

というわけでFLASH作りました。
作曲はレコードの表記に倣ってスペイン古曲としました。

 

 

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